水野敬也さんの「夢をかなえるゾウ0」を読み終えました。
大好きな本でシリーズ全巻読んでいます。
今回も大大大満足でした^^🎵
ネタバレにならないように気を付けていますが、人によっては終わりまで読む前の楽しみを奪ってしまうかもしれませんので、その方々はこのブログをそっと閉じてください。
読み終えた後、どうしてこんなに惹きつけられるのはなぜだろうと?と考えてみました。
主人公は「ガネーシャ」
人間の体とゾウの頭、四本の腕を持ったインドの大衆神。
商売繁盛、化・芸術の勃興……すべての事象を司る万能の神。
ごくごくフツーの、ちょっと頼りないくらいの主人公が、ガネーシャ様から出される課題をクリアしながら、頭ではなく自分の足で一歩ずつ進んで自分の未来を変えていく物語。
「夢を持っていない」主人公が「夢を実現する」まで+αのストーリー。
見方を変えると、主人公が一番輝いている「未来」から、逆に足りないものを引いて行って、ダメダメな、諦めている人生の「最初」から始まる物語。
その変化のギャップの大きさに驚きます。
ガネーシャはたくさんの課題を出します。
その課題をやらないとすべての夢・希望を取られてしまいます。
最初は嫌々で半信半疑で、まさしく「こなして」いきます。
ときに偉人が残した言葉や生き様を、言葉だけじゃなくて「本当の意味は何か」をガネーシャは解説してくれます。
その偉人たちを「ちゃん付け」で呼び、自分が成長させたことを自慢します。
ガネーシャを語る上で外せないのが、周りを「一瞬で氷点下まで凍らせる」ダジャレ。(苦笑)
ガネーシャ自身の存在を神格化してしまうより、承認欲求が人一倍強くて、自分勝手で、ドジで可愛らしくて、子供みたいにピュアで、キマッちゃってるくらいブッチ切ってて、、、
何よりも「笑い」を愛するこの神様にグイグイ引っ張り込まらせてしまいます。
課題を出された主人公は、その課題をいつも「こんなことがなにになるの?」と不満げ。
それはつまりは私たちの声を代弁している。
主人公はガネーシャのことを最初は「疑い」から始まって→「同居人」→「ときどき師匠(神様に向かっては失礼かなw)」→「本物の神様」に主人公の心の目が変わっていきます。
毎回出される「課題」をクリアしながら課題の本当の意味を知る。
ガネーシャに欠かせない存在の天界からの友人も必ず出てくる。
そしてその神様たちも「笑いの神ガネーシャ」を心から愛している。
そう!この物語は愛で溢れているのです!!
最初は疑っていた課題も、自分でやって(ここで誓約書が強制力をもって効いてくる)、達成感と進歩を実感できることで、楽しくなり(ここ重要)次の課題を今か今かと欲しがる。
中毒性の高いパブロフの犬状態ですねw
最初に立っているところを0.001だとすると、90くらいまでは主人公を振り回しながらガネーシャがコーチになって引っ張って行ってくれる。
でも最後の10は泣こうがわめこうが、自分で進むしかない。その力はそれまでの課題で養ってきた。
表のストーリーと同時に裏側にもストーリーがある気がします。
登場人物(神様たちを含む)の描写が目に浮かびますが、同時に内面の表現が秀逸で、更に引き込まれていきます。
課題を出されたときに、一筋縄では上手くいかない時も多い。
考える。考える。考える。
そんな時に「ガネーシャ」がぶっ飛んだ提案をする。
邪魔しかしていない気もしますがw
そしてなりふり構わずやらざるを得ない環境に放り込まれるw
時には主人公が知らない間に、ガネーシャが自分に成り代わって好き放題やって、主人公は冷や汗をかきながら現実の世界を取り繕う。(尻拭いをさせられる)
でも、それも振り切ったガネーシャの助太刀で追い込まれた主人公を、強制的に一歩、また一歩進み、本人も気づかないうちに成長していく。
はるか遠くにあった「変わりたい自分」の山を登っていって、振り返ると「ここまで登ってきたんだ」と実感することができる。
そしてまた進み始める。もう歩みを止めることはしない。
ううう。どうしても言いたい。
ガネーシャは最後に「愛」を届けてくれる。
それまで笑い涙を流していたのに、最後の最後に嬉し涙で締めくくる。
こんなに可愛いくて偉大な神様はいるでしょうか?
私は○○いと思います。
今作も最高の涙を流させてくれて「どうもありがとうございました」
どうか、このシリーズが終わりませんように。
いつまでも待っています。
またね^^
![](https://i0.wp.com/patasmonkey.com/wp-content/uploads/2023/10/2022.10.27夢をかなえるゾウ0.jpg?resize=150%2C150&ssl=1)
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